コモンズの悲劇、コモンズの喜劇、アンチコモンズの悲劇、フリーライダーの寓話

クリアコード20周年記念Meatupでちらっと書いたのだけど、三分ほどの短いお祝いトークをして来ました。いわゆるスピーチではなく、パソコンでプレゼンを大画面に映すやつ。

やはりクリアコードさんと言えば、ということでフリーソフトウェアについて何か話したいなあと思って本を一冊読みました。

そこで西川開『知識コモンズとは何か』を、イベントの一週間ほど前に買いました。何とか、イベント当日の朝まで掛けて読んだのですが、「お祝いの話に絡められなさそう……」という結論になったので、これとは関係のない話をしました。そこで、ここで紹介して供養したいと思います。

キャッチーっぽい響きのある話をいくつか紹介します。

コモンズの悲劇(P. 11)

この本は知識コモンズについての本なのですが、前史として「伝統的コモンズ」、つまり牧草や水と言った物質的実態のあるコモンズの研究についても調査しています。その際に「コモンズの悲劇」というエピソードがありました。有名なので知っている人もいると思います。1968年にハーディンという人が提唱した、コモンズについての悲劇的なシナリオです。

ある牧草地が、誰でも使用可能な状態だとします。この牧草地にあまりに沢山の牛が放たれると牧草が足りなくなり、再生産される牧草の量も減ってしまいます。従って、牧草地を維持するには、放牧する牛の数を一定に保つ必要があります。

ここで、ある一人の農民の視点で考えると、牛を一頭増やすとその分の利益を得ることができます。一方で損失である牧草の減少は、放牧地を使う全員に分散されます。すると、牛を増やすことが合理的な行動となり、みんながそのように行動して牧草は尽き、その牧草地は枯れ果ててしまう、というシナリオです。

こうしたことがあるので、コモンズは私有財産にして管理を委ねるか公有財産として政府などが管理するしかない、というのがハーディンの結論です。

これは後にオストロムによって反例が挙げられます。ハーディンの言うシナリオも、一方でうまく管理されている反例もある(オストロムは反例に共通する特徴を挙げてもいる)、どちらもあるし、多分ハーディンのいう結末を辿ることが多い、ということだと推測しています。

オストロムの話も面白いので本を読んだり検索したりしてみてください。コモンズ研究でノーベル経済学賞を獲った人でもあります。

コモンズの喜劇(P. 35)

コモンズの悲劇をもじったコモンズの喜劇というシナリオも紹介されています。コモンズの悲劇は皆が使うことでコモンズが崩壊するというシナリオでしたが、コモンズの喜劇は皆が使うほど全体が利益を得るというシナリオで、1986年にローズが提唱しました。インターネットは定義によってあるとも無いとも言える頃。ウェブはまだ無い。

コモンズの喜劇は道路や水路、公共広場などを対象としたシナリオで、これらは商業活動の基盤になるので、多くの人が使えるようにしておくことで商業活動が活発化し、全体に利益がもたらされる、と説明されています。道路を使うということは、荷物や人の移動があるということで、そうしたことが起これば起こるほどお金も動く、ということだと思います。

コモンズの悲劇ではコモンズについて権限を持って管理する人がいない状態が崩壊を招いていましたが、コモンズの喜劇では誰かしらが利用を制限する権限を持っている人がいる、というのが特徴です。野放図ではないわけです。

ネットワーク効果が背景にあるらしく、そう言われると現代の僕達にはよく分かりますね。

これらのコモンズは、コモンズの悲劇で扱われた伝統的コモンズと区別してオープンコモンズと呼ばれます。そして、知識コモンズもその一種とされています。これが知識コモンズの理論的出発点となっているのです。

アンチコモンズの悲劇(P. 43)

アンチコモンズの悲劇は、ある資源について複数人が所有権を持っている状況を描きます。ヘラーが1998年に提起しています。

この時、互いが互いの効率的な利用を妨げることができるという権利の持ち方があり得ます。そうすると、権利を束ねるのに膨大なコストが掛かってしまい、それは行われず、結果、その資源は使われなくなる、というシナリオです。

本を復刊したい時に、著者・挿絵画家・デザイナーのいずれかが連絡が付かず権利処理できない、というのもアンチコモンズの悲劇と言えるんですかね。意図して妨害しているわけではないけど。

フリーライダーの寓話(P. 70)

フリーライダーの寓話は、知的資源の管理制度に関する通説を、2013年にフリッシュマンが定式化した物だそうです。知識コモンズ版の「コモンズの悲劇」と言えます。

知識資源は、誰かが「使用」しても減らないし、その使用を妨げることも難しい、という性質から、第三者がフリーライドするのが容易です。そうすると、その知識資源の生産者が支払ったコストを補填できず、インセンティブが失われ、知識資源があまり生産されなくなる、というシナリオです。

当時はフリーライダーの寓話を回避する方法の通説が、やはりコモンズの悲劇でハーディンが言ったように私的所有か公的所有か、だったそうです。つまり、知的財産権を設定することで簡単にフリーライドを排除できるようにするか、助成金で生産したり公的機関が生産するか。

そして、オストロムが伝統的コモンズでしたように、知識コモンズでもこのフリーライダーの寓話の反例が挙げられています。詳しくは本を読むか、直接フリッシュマンの論文を読んでみてください。


内容的には同列に並べるような物でもない物もあるけど、幾つかの「お話」を紹介してみました。

プログラムのソースコード(特にフリーソフトウェア)への関心から読んだ本でしたが、フリーライダーの寓話なんかは正に、ですね。そのようにして悲劇を迎えるFLOSSはあるし、そんな中でもうまくやっている物もある。

トークが三分なので本に書かれているような込み入った話をする時間が無いという理由もありましたが、何より「うまくやろうと実際に行動している」というクリアコードさんに、こういう分析手法の観点から何か言ってもなあ……という気持ちにもなって見送ったのでした。